それは2010年2月のこと。
妊娠7ヶ月目の検診で医師から発達遅延を指摘され、私はすぐに入院することになりました。
そして「出産できるかどうかは赤ちゃんの生命力次第だ・・・」とお話しがありました。
その頃 同様のプレママが死産になったこともあり、私は「命さえ無事に産まれてきてくれれば」と日々願っていました。
そして2010年4月15日。じゅのは私の元に生まれてきてくれました。 13トリソミー染色体異常という重度の障害。出生約10,000人当たり1人持って生まれるとされ、病状が重いために生後1カ月を前に亡くなるケースもあり、1年以上生存できる割合は10%未満と言われている障がいです。
じゅのが生まれた時は呼吸が不安定で、酸素を全身に回しきれずに浅黒い皮膚をして、1000gちょっとの痩せ細った身体でしたが、全身を使いながら産声をあげるその子はとても可愛く思え、不思議と生命力を感じ、ママと一緒に生きよう、長生きして!と思ったことを覚えています。
その後、退院まで10ヶ月を要しました。その間に手術や体に入れるチューブの交換、そして蘇生方法にいたるまで、命をつなぐケアの全てを覚えなければなりませんでした。
3歳半で初めて故郷の福岡へ帰省しました。その時に初めて飛行機に乗って九州へ行き、両親、親族、友人に会わせることができました。心臓と呼吸に持病がある娘にとっては飛行機に乗るだけでも一大事でした。
でも、福岡に降りたった時の空気や雰囲気の違い、家族に会わせるだけで3年以上の歳月が過ぎていたと思った時のこと、この時の感動は忘れられません。それからも、一般には小さな成長が私たちにとっては大きな喜びでした。 この子たちが1日1日を大事に生きることを教えてくれました。
一方で、子育てをしていて孤独に感じることがたくさんありました。体調不安から外出が難しく、また一人で子どもを連れて出るにも社会的なインフラが整っていません。
同じようなご家族や子どもたちがどんな風に生活しているのかさえ未知でした。 世間の人たちが何気なくできることが自分の子どもには難しいこと、そして親である自分にも難題に思えていました。
同様に、デイケアサービスの必要性もすごく感じていました。同じ境遇の子を持つ親同士で交流することで、難しい子育てでの共感を生み、一緒に乗り切ろうというパワーが湧いてきます。
私の場合、娘が4歳から通ったデイサービスでお友達になったママたちと 法人を立ち上げるまでの力をもらい、大きな心の支えとなってきました。また子どもたちも年齢の近いお友達ができました。 保育園や幼稚園に通うことが難しいお子さんたちも、ここで子ども同士触れ合える環境の中でたくさんの経験ができ、自立の一歩を体験することができます。
同じ想いを抱いているみなさん、ぜひOhana Kidsにいらしてください。この扉を開けてくれた方は 私たちの家族です。楽しさも悩みも共有して、一緒に子育てをしていきましょう。
わたしたちの活動にご賛同いただけるみなさん、Ohana Kidsとともに歩んでいただけたら嬉しいです。子どもがどんなに重い障害を持っていても、生まれてきたことを祝福し、みんなで支え合い、障害を持った子とその家族が明るい将来を描ける社会を目指していきます。